がんばるせろな(仮)

夫のバルセロナ留学についてきた30代。コロナ禍のスペインをじたばた生きてます

自分のしっぽを噛む魚

 スペイン語を本格的に習い始めて3カ月。今の状況を自己評価するなら、el pez que se muerde la colaという表現がぴったりだと思う。直訳すると「自分の尻尾を噛む魚」。どんな時に使うかというと、

  • 忙しさから恋人に冷たくしてしまい、結果距離を置かれたことに怒ってまたよくない態度をとってしまう…というような人について言うとき
  • 労働ビザ取得のためには現地企業からの採用通知が必要なのに、現地企業の募集要項に「労働ビザをすでに持っていること」と書いてある場合
  • 日本で言うと、少子化→高齢者や社会を支えるための一人当たりの負担が増える→家庭や子供を持つ余裕が減る→少子化が進む、みたいな現象

 要するに、悪循環とか堂々巡りとか、そんな感じだと理解した。自分の尻尾を追いかける犬や魚を見たことがあるだけに、必死なのにその場から進んでいないという切なさが思い出され、何とも言えない停滞感をうまく言い表しているなぁ…と勝手に納得してしまった。たぶん、今後悪循環という言葉を思い出すたびに私の脳内を魚がぐるぐる泳ぎ回るだろう。

 私のスペイン語学習の話に戻ると、英語に頼る場面がずいぶん減り、ニュースも字幕と映像があれば5本に1本くらいは概略が把握できる。今まで習った単元を一つずつ見ていくと、致命的にわからない部分があるわけでもない。そういう意味では着実に前進はしている

 でも、習ったことを総動員して、「言えること」を超えた「言いたいこと」を言おうとすると間違えてしまう。それを何度も訂正してもらうのが気持ち的にしんどくて、スペイン語を積極的に使おうという心が折れてしまう。結果、習ったことを忘れるのが早くなり、何か言おうとしたときにまた間違える…。そんな感じでちょっと足踏みしているのも事実で、気がかり。

 一つのことを続けるにあたって、停滞や失敗、試行錯誤は避けられない。だから、この世の終わりだ!とまでは思わないけど、ここをうまく抜けられたらまた一つ成長できそうな気がする。だから、このあまり愉快ではない時間にどう対処するかは、大切な問題ではある。

 今回は、せっかくこの停滞を魚になぞらえる表現を教わったので、抜け出し方を魚から学べないものかと思っている。ただ、魚がぐるぐる回るのをやめる瞬間って、よく考えれば見たことがない。何がきっかけになるかはわからないけど、尻尾をかむのをやめた時「海は広いな、しっぽだけがすべてじゃないな」と思えたら、私の世界もまた広がるんだろうなと思う。

 特に結論はないけど、後から振り返る自分のために書いておいた記録。