がんばるせろな(仮)

夫のバルセロナ留学についてきた30代女。初スペインとコロナ禍をじたばたと生きています

夏目漱石が好きだというだけの話

 夏目漱石が好きだ。文学畑ではないので勝手な感想でしかないけれど、クズな主人公をクズのまま描き切る筆力が好きだ。日本語ロスで辛くなった時用と、語学頑張るハイになった時用に、わざわざ数冊持ってきた。そしてこちらでも買い足した。常備薬のような位置付けだ。

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 夏目漱石の描く主人公は大抵、多少頭はいいけれど、少年漫画のヒーローのような明るさはなく、努力と友情と勝利のうち最低1つは欠けていて、それにちょっとコンプレックスを抱いていたりする。今風に見れば、拗らせ系と言えなくもないか。そして、変わりゆく明治の世界を、戸惑いながら、あるいは膝を抱えながら見つめている。自分自身は変わり映えのしない日々を送っているのだけど、急激な時代の変化の中では、変わらない自分こそが世の中を定点観測する「現在地」になる。

 変わりゆく世の中と、変われない自分。そのあわいに生まれる葛藤は、教訓のようなわかりやすい形はとらず、曖昧模糊とした内省として熟していく。なのに、100年経った今読んだって、なんとも切れ味が良い。

 いっちょまえに自分を責め続けたり、誰かを責めてみたりはするのに、心が弱めで行動が伴っていない感じの主人公。でも、ふと気づくと、何か強烈な洞察を得ている。私には、それがとても自然で、いつか自分にも起こりそうなことだと思える。

 

 それにしても、どれほど自分を厳しい目で見つめれば、架空の人物の内心にここまでリアリティをもって迫れるのだろう。何度かその苛烈さを想像してみたことがあるけれど…私にはとてもできないな、とため息をつくばかり。きっとどこかで自分を甘やかすか、目をそらすか、辛くなってしまうだろう。

 年表をたどると、夏目漱石は1900年ごろにイギリスに派遣留学した際、挫折にも似た苦しい時間を過ごしたとのらしい。33歳ごろだという。当時と今では年齢に伴う責任の重みが違うけれど、大人になってからの挫折がいかに心にくるか…想像してあまりある。そして(私の妄想だと思うけれど)身を切るようなその苦しみこそが、鋭い洞察と痛々しいほどに深い内省を育てたのだとしたら。やはり私には、この先達を敬愛することしかできない。過去に気持ちが届くなら、毛布と温かいお茶と後世での評価を差し入れたいところだ。

 

 たしか、中学生くらいのときに「読書感想文の推薦図書だから読んどこ」という雑な動機で手に取ったのが初文豪作品、初夏目漱石作品だった。当時の感想文にはありきたりなことしか書けなかったけど、その経験はただ一度の作文のために消費されたのではなかった。なぜかずっと私の中で育っていて、20年かけてようやく孵化したように思う。そんな出会いが、人生であと何回あるだろう。そう思うと、愛おしさすら感じる。

 

 もちろん、私は国の代表ではない。それどころか、好きで勝手に新天地スペインにやってきた。飛行機で1日しかかかっていないし、語学も家族との連絡もスマホがあればなんとかなる。夏目漱石と比べるなんて、おそれおおすぎるのは理解している。

 でも、少しへこたれそうになったり、自分を甘やかしたくなったりした時には、持ってきた本を手に取ったり、眺めたりする。この人の努力や忍耐、もっといえばこの人の人生がなかったら、私はきっと今とは全く違う人間になっていた。それと同じように、今自分がする努力や忍耐が、もしかしたら私の人生そのものが、いつか誰かの何かになる可能性だって、0%ではないかもしれない…と思えるのだ。

 

 24時間365日頑張ることはできない。でも、人生において頑張らなければ後悔する局面があるとしたら、今は間違いなくそのひとつ。

 基本的には自分のためにしか生きたくないと思っているクズが私だ。でも、ひとのためになるかもしれないなら普段より頑張れそうかも…と思うことだってある。

 なんて、数冊の本でこんなに考えてしまうくらい、夏目漱石が好きだというだけの話。