がんばるせろな(仮)

夫のバルセロナ留学についてきた30代女。コロナ禍のスペインで、何を考えどう過ごす?手探りだらけの滞在記録

「好き」の理由って何?カレーとラーメンから始まる自己分析

 いろんな国から来たいろんな人とご飯を食べていると、ものすごく注文が多い。食べる量ではなくて、注文の多い料理店」の方の注文(?)が多い

 「あとで気持ち悪くなるから魚介類は食べない」「ぺスカタリアン(肉は食べないけど魚はOK)なの!」「豚は食べないよ」「牛より鶏がいい」「牛乳が入ってるのは無理なんだ~」「牛すじみたいなグニグニは無理…」「こってりはNG」など。思いだせるだけでもこんなにあるし、飲み物だってノンカフェイン、ノンシュガー、ノンアルコール…などなど、こだわりも様々。毎回何の肉か確かめるし、基本的にみんな脂や糖の質にはものすごくうるさい。

 体質、宗教、信条、好み、経験則など、理由も多様だ(言っても言わなくてもOKだけど)。だから、何人かでご飯を食べるとみんなが食べられるものを探して折り合いをつけるのに少し時間がかかる。それが楽しいところでもあるのだけど、それを飛び越える食べ物が、私の知る限り2つある。それがカレーとラーメン。なんとなくカレーっぽい色で書いてみた。

 この2つに関しては、上で挙げたようなやり取りが少し短くなる。一応材料の説明は求められるけど、「ラーメンならこってりしててもいい!」とか、確認事項が少し減る感じだ。日本食知ってるよ!ラーメン!ジャパニーズカリー!(わざわざジャパニーズと言ってくれるあたりが優しい)って言われたり。

 カレーとラーメンの何がそこまでさせるのか聞いてみたことがあるが、「だってすごくおいしいもん!」で終わってしまった。あれだけ自分の好みや食事スタイルを雄弁に説明する人たちが、たった一言で答えてくるのが、ちょっと面白くてかわいい

 私には食事の席で言うほどの好き嫌いはないし、一般的にも好き嫌いはよくないことだと言われているように思う。だからなのか「何ならおいしく食べられて、何は違うのか」をニュートラルに説明する機会もなかった。そして、改めて考えてみると、嫌いなことの言い訳は思いつきそうだけど、自分が何かを好きである理由を説明するのって、意外と難しい

 私はチーズやニンニクが好きだけど、理由を50字以内で(または300単語以上で)説明せよ!と言われても、困ってしまう。だっておいしいし。「味・香り・食感が好き」「チーズって何にでも合うし」と、一段階詳しい説明に逃げて1ターンしのいだとして、もう一度「なんで?」と聞かれたらお手上げだ。何が原体験になっているか、自分でもわからない。たぶん、そういう好きもある。理由を説明できる「好き」って、ちょっと薄っぺらかったり、言い訳がましい気もするし。でも、それをあえて考えてみたら、自分の引き出しが増えるんじゃないか…と、カレースプーンを握りながら思ってしまったのだ。我ながらぶっ飛んでいると思う。

 たとえば、編み物が好きな理由なら多少説明できる。編み図があるから自分がどこをやっているか迷わないし、やり直しもきく。自分さえあきらめなければ果てしない大作でもいつか完成するという安心感と、終わったときの達成感が楽しい。自分にしかわからない小さなミスを「まぁいいか」で済ませず、「こだわって間違いなくやろう!」と期限を気にせずこだわれるのも、仕事ではない趣味ならではの楽しみだ。誰かに贈るものなら、その人のことを編んでいる間中考えていられるのでちょっと幸せな気分にもなれる。ハラハラせず、コツコツと、こだわって、過程を楽しむ。これが自分にとってのキーワード。

 編み物を始めた当初は何が楽しいのか自分でもわからなかった。「編み物っておばあちゃんの趣味でしょ…」と怪訝な顔をする友人に、それは違う!と言いたい一心でこれだけ言えるようになった。この必死さに折れてくれただけかもしれないが「そういうことならちょっとわかるわ」と言ってもらえているので、「だって好きなんだもん」で止まっていたころよりは建設的なんじゃないかと思う。

 3か国語話せる人が、日本語だけ話せる人の3倍のトピックを話せるとは限らない(と思うのは、話したいことに外国語がついてこない自分の願望だろうか)。結局、その人の中にどれくらいの引き出しがあるかは、見聞きして考えてきた量に左右されるのではないかと思っている。

 自分が言いたいと思ったことがあること、説明したいと思ったことがあることでないと、どの言葉でも言えない気がする。ある日突然スペイン語だけで言えるようになるとは思わない。だからこうして今日も、ネットの片隅で思考をこねくり回している。チーズとニンニクを食べるのは自己分析のためだ、という言い訳をしつつ。