がんばるせろな(仮)

夫のバルセロナ留学についてきた30代女。初スペインとコロナ禍をじたばたと生きています

「心を寄せる」ことの難しさ

 日々の生活から世界レベルの出来事まで、いろんなことがありすぎて、気が付いたら3月にワープしていた。何をどう書けばいいか考えてはいたけど、まとまらないのであきらめてそのまま書いていくことにした。

 まずは世界レベルの出来事。といっても、世相を切る!みたいな話ではなくて、こういう出来事から、人とのかかわりや社会とのかかわりについて、そして自分について考えている途中です、という話。

 目次、というほどでもないけど。

  • トンガの噴火:心を寄せること自体の難しさ
  • 北京五輪:「同じ日本人として」という力技
  • ウクライナ情勢:「何者として」心を寄せるのか
  • 思うこと

トンガの大規模噴火:「心を寄せる」ことの難しさ

 私がこのニュースを始めて知ったのは、SNSで日本の知人がかなりザワザワしていたから。たぶん、発生から8時間くらい経っていたと思う。ニュースを見ていなかった時期と言うのもあるけど、日本とくらべると、私の周辺は静かだった。

 こちらの人が冷たいからではないと思う。むしろ、キリスト教文化の影響なのか、チャリティー意識がすごいなぁと思わされることがある。ホームレスに小銭を渡す人が結構いるし、募金にも積極的。服を捨てるときは「欲しい人が持っていけるように」とゴミ箱の上にわかるようにおいておくのが暗黙のルール、という地域があったりもする。でも、今日にいたるまで、日本人以外の誰とも、トンガの話はしていない。

 地震津波を体験として知っている人が少ないからかもしれない。西欧地域では地震や火山活動、津波被害は比較的に少ない。なので、普段から私が日本の地震の多さやその対策について話してもあまり刺さらないというか、「ふーん…?すごいんだね…??」という感じになりがち。

 あるいは、物理的な距離が心理的な距離に影響しているのかもしれない。スペインとトンガは結構離れている。日本からみて地球の裏側はブラジル近海で、スペインからみた地球の反対側は、ニュージーランドの近く。トンガはその北にあり、きっちり正反対ではないにしても、「ニュージーランドと赤道の間くらい」というイメージはかなり遠く感じられるのではないか。だとしたら、実際に行ったことがある人や詳しく知っている人は、思いのほか少ないのではないか。

 だとしたら、行ったことがない場所の、経験したことのない困難を想像するのはさぞ難しかろうな、ということを、この時なんとなく考えていた。

北京五輪:「同じ日本人として」という力技

 冬季五輪を詳しく見ないのは時差のせいだとばかりおもっていたが、今思えば中国にはずいぶん昔に行ったきりな上、ウインタースポーツにも縁がなかったというのも大きい。「今の姿をよく知らない都市で行われている」「詳しく知らない競技」に関する壮絶な努力や苦労について、イメージするのが難しいのは道理のように思える。

 同時に、よく見かける「同じ日本人として誇らしい」という感想が、普段より印象に残った。実際にスペインにきて、日本人同士なら今まで経験してきた出来事が似ているから考え方や言いたいことが理解しやすい、ということが結構あったし、これは「よく知らなくても、何か共通点があれば自分のこととして想像できそう」、という、潔い力技のような気がした。

ウクライナ情勢:「何者として」心を寄せるのか

 もう一つ、「何者として」関わるのか、ということを考えさせられたのがこれ。

 最近、ニュースも新聞も語学学校の先生も、ウクライナをめぐる情勢のことを話さない日はない。というか、ニュースや新聞を求めなくても、人と話していればおのずと情報が入ってくるし、意見を求められることもある。先日マドリッドを訪れた時には、ウクライナのためのデモに出くわした。同じころ、バルセロナでもデモがあったそうだ。もはや誰とも話さなくても、町を歩いていれば何かしら情報が入ってくる状況だ。

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マドリッド中心部で2月末にあったデモ。PAZは平和の意

 恥ずかしながら、私はウクライナにもロシアにも詳しくない。ただ、どちらの国の人も語学学校の友人にいて、「〇〇人」である以上に「〇〇さん」として見ているから、自分の手が届く範囲の身近な話だという感覚はある。どちらの友人にも恥ずかしくないよう、彼らに対しての言葉や行動は自分で考えて見つけたいし、それ以外の人と話すときも「なあなあに濁さず自分の意見を持とう、意見を求められたらちゃんと答えよう」と思えている。

 でも、もし私がスペインに来ていなくて、どちらの国の人とも知り合っていなかったら?日本もロシアの隣国だから、関心を持っただろうとは思う。でもどちらかというと「日本という隣国の市民として」であって「個人として」ではないだろうな、という気がする。

思うこと

 よく知らないこと首を突っ込むのは恥ずかしいとか、無責任とか思ったりもする。これまではそこで「知らない、わからない、どうでもいい」と考えることを放棄しがちだった。でも、せっかくはるばるスペインまで旅をして「自分の知っている世界の範囲」が少しだけ増えた今が、自分がどういう立場で世界の出来事を見ていて、何者として世界とかかわりたいのか?をよく知るチャンスなのかもしれない。